しつけないことです。

母さん方は知識はたくさん持っています。

あの後味の悪さか
ちょっとの努力でイヤミ·ママ
もほめ上手に
【禁句】
あら、自分からすすんで勉強するなんて、珍しいわね雪でも降らなきゃいいけど【名句】「言われなくても机に向かうなんて、お姉さんになった証拠ね。
お母さん感心したわ」
「まったく、遊びに行く時だけはやたら張り切って。その元気を少しは勉強にも振り向けたらどうなの」

おや、あなたのほうから手伝ってくれるなんて、どういう風の吹きまわし?
へえ、九十点も取ったの。今度のテストは簡単だったんだね
叱るにつけ、ほめるにつけ、お母さんがともすれば陥りやすい欠点の一つは、やたらにイヤミっぽいということです。
子どもは何度言っても同じことを繰り返すのです。

小学校の入学式のとき


大学の卒業生なんか何の役にも立たんじゃない

>子どもはしぶしぶでも片づけました。勉強もキチンとしなさい手伝ってくれてありがとう今度のテストはよく頑張ったねと言えば済むものを、こんなイヤミを浴びせられて、なおかつやる気をなくさない子供がいるとしたら、よほどの精神力の持ち主か、もしくはお母さんをまったく無視しているかでしょう。
おそらくお母さんも、それを良しとして言っているのではなく、口を開くとついつい皮肉っぽくなってしまう、というのが本音ではないかと思います。それも、もともとがイヤミな性格、などというわけでは決してないはずです。皮肉がすぐに口を突いて出るのも相手が自分の子だと思えばこそでしょう。
皮肉に限らず、常識的に考えて人に向かって言うべきでない言葉を、我が子に対しては無遠慮に、あるいは無用心に使ってしまうのは、親の常かもしれません。


子どもに人格とか価値観ができあがってき

両親やその他の家族から溺愛や過保護を受けてき

子供というものは一人一人違います。けれども考えてみれば、他人ではないから許される、親子なんだから分かってくれるはずだ、という解釈はあまりにも一方的すぎないでしょうか。それは、相手を独立した1個の人格としてとらえず、私の子供であるからと、自分の中にその存在を取りこんでしまう、親のおごりのゆえではないかと思うのです。
親子とはいえ、結局は一対一、人間同士のつながりです。どちらにも感情はあるのですし、揶揄されれば気がくじけてしまう弱さも持っています。わざわざ相手を傷つける言葉を選ぶ必要性はどこにもありません。第一、親もまた親しき仲の礼儀を守って、気持ちょく子供に接したほうが、自分もイライラせずに済むのではありませんか。
イージートーン購入を検討する。

勉強をさせるための用意をしそれがうまくいくやゆ何より子供の可能性を引き出し、良い点を伸ばしてゆくのは、はなく、素直なほめ言葉、励ましの言葉なのですから間違ってもイヤミなどで
失敗してもダメな子ではありません
【禁句】
本当にあなたってダメな子ね誰に似たのかしら【名句】「こうなったのはあなたが不注意だったせいね。
これからは気をつけなさい」
叱るべきことだけを的確にピシッと叱る、とはどういうことか、もう少し考えてみましょう。
はじめに、怒ること叱ることとは別だと言いました。


子どもにはひとりひ

叱ることの目的はあくまで子供の過ちを諭し、正しい方向へ導くことなのですから、その言葉は手短であるとともに、なるべく具体的であるのが望ましいわけですさと相手が幼いうちであればなおさらのことちゃんとしなさいダメね
といった漠然とした表現ではなく、要があります。
何がいけないかを、分かりやすく指摘してあげる必と同時に、もっとも大切なことはしてはいけないことをしてしまった、あるいは、やるべきことをやらなかった、その行為そのものを叱るのであって、決して人格の否定に係わる言葉は口にしない、という点です。
母マリアさまは処女懐胎でキリスト人類

勉強できる子

育てることでした。これが簡単なようでいて、実はなかなかに難しいのです。
ちなみに、いつものお説教のパターンを、ちょっと思い起こしてみてください。なるほど最初のうちは、悪戯したこと、宿題を忘れたことを注意していたはずなのに、最後はだから、あんたって子はダメなのよ
というお決まりの結論で締めくくってはいないでしょうか。ひとつの失敗を、まるで性格全体がダメであるかのような言い方をし、いたずらに子供をいじけさせたのでは、叱ることの意味も失われてしまいます。
さらに念の入ったことに、いったい誰に似たのかしらね
と付け加えるお母さんも多いのですが、これはますますいけません。なぜなら私
に似たのではない限り、そのセリフはすなわちあなたは、お父さんに似てダメなのよねという意味を暗に含んでいるからです。

学校で受けた抑圧から解放することができたのです。

子どもがことを続けていてもただ口先

自身も子供の頃、こう言われるのが一番嫌ではありませんでしたか。
された子供たちは、内心、何だよ、いつもタカシ君タカシ君って、ボクはボクなのにさ
お父さんやお母さん友だちや兄弟と比較と思いつつも、お母さんの指摘も当たっているだけに、すっかりイジケてしまいます。
真正面からの反論もできずとりわけ兄弟間ですと、状況はもっと悲惨になりかねません。
少なく、せいぜい二人ですから、その間で比較され叱られると、ランク付けされてしまうわけですどうせボクは、何したってお兄ちゃんにはかなわないよ
ママが可愛いのは、妹のほうだけなんだわ
昔と違って今は兄弟数が自動的に自分が最下位にこんなふうにヒガんでしまっては、ますますやる気をなくすだけです。
子どもはそれを信じ

中学校だったらどうであろうか。


子どもが本当に気持ちよく

>子どもを大事にしすぎる子供というものは、一人一人違います。たとえ兄弟姉妹であっても、その性格や能力はずいぶん異なっています。ある子は別の子より、一つの面では劣っていますが、もう一つの面では優れています。いえ、劣っているように、見えるだけで、単に表われ方が違うだけかも知れません。それを単純な比較で評するのが、そもそもの間違いなのです。
人を見て法を説けと言いますが、やはりそれぞれの子に合ったしつけ、叱り方·ほめ方があります。我が子の考えや行動を本当にキメ細かく観察できるのは、身近にいるお母さんだけなのです。どうかラクをせずに、その子の個性を充分に尊重した上でのアドバイスを考えてみてください。
子供の小さな努力が見えるのはお母さんだけ
【禁句】何なのよ、このテストの点は!
怠けてる証拠でしょ

【名句】「そう、六十点だったの。
よく勉強してたのにね。
ちょっと惜しかったわね」
子供が学校へ通い始めると、お母さんの頭の中はもう成績のことでいっぱいです。


子どもには洞察力が生じません。

小学校低学年のうちは漢字や計算

母象のジャンボなにしろ我が子の能力や成長の度合いを、通知表とかテストの点で歴然と示されるのですからどうしても関心がそちらに向いてしまいます。おまけにそれは00君よりはできるとかXXちゃんより負けるといった比較を可能にさせるものなので、親としては気になって仕方がない、というところでしょう。
そういう意味では、成績の存在は本当に罪なのかも知れません。それにこだわるあまり、成績の良い子は優れた子、成績の悪い子はダメな子、などという片寄った考えに、親も子供も振りまわされているように思います。
しつけないことです。

父親とわたしを見ているかもしれない。けれども成績はあくまで結果の評価でしかありません。また、十人の子供がかけっこをすれば必ず一等の子とビリの子がいるように、成績が一番の子もいれば、最下位の子だっているのは当然なのです。だからといってビリの子が一番の子より人間的に劣っているのか、将来にも期待できないのかといえば、決してそんなことはありません。
大切なのは、その子が自分の力のギリギリまで努力したかどうかです。たとえ数字の上ではパッとしない成績であっても、一生懸命にやった結果であるなら、それは立派な成績ですし、誇るに値するものです。
本当は、どのくらい努力したかによって通知表やテストの点数がつけられれば一番良いのでしょうが、現状ではなかなかそうもいきません。


教育がすごいなと思

四十人の子供を受け持つ先生が、それぞれの子供の二十四時間、三百六十五日の生活の隅々まで見つめることは、残念なことに不可能なのですからそれができるのは、お父さんお母さんだけです。少なくとも親だけは、結果だけで子供を評価するのではなく、その過程を認めてやらなければならない義務があるのではないでしょうか。
「点数はたいしたことなかったけど、今回は良く勉強してたわねって言ってくれた。やっぱりママだけは、私のことを良く見てくれてるんだわ」
そう思うと、子供の心には安らぎと自信が生まれます。努力の尊さを知る子の将来はたまたま成績が良いだけの子より、ずっと明るいものなのではないかと思います。
男の子のくせに、女の子のくせに【禁句】
女の子のくせに、お友だちを泣かせたりして。
やさしくない子はお嫁にも行けませんよ﹂【名句】
あなたが同じことされたらどうなの、いやでしょう。
だったら、してはいけないわ男の子のくせに女の子のくせにという叱り方があります。
両親が信じてあげなくてお父さん

教育者だと言ってるここが私とは違います。

子どもたちのために働きました。一般的に男の子だったら気が弱いすぐに泣く引っこみ思案など性格面での弱々しさが、女の子なら言葉づかいや立居振舞いが乱暴だらしないケンカっ早いなど行動面でのガサツさがその対象となりやすいようです。
男と女とは、同等ではあっても同質ではありません。ですから、私は女の子ボクは男の子という意識がはっきりと確立される中学生以降では、それぞれの導き方もおのずと違ってくると思います。しかしそれ以前の、人間としての基本的なしつけを身につけさせる段階では、男の子も女の子もありません。男の子のくせに女の子のくせにとあまり言いすぎるのはちょっとどうかと思います。
第一に、子供たち自身がもっとも嫌がる叱り方の一つなのです。