子どもはすぐイヤになってしまいます。

子どもの時期にがまんする

けれどもそれが行動面にも生かされているかどうかは疑問です。
たとえば電車の中でお年寄りや身体の不自由な人に席を譲るべきなのは、誰でも知っているのです。それなのに、ためらいもなく立ち上がってどうぞと言える人が、いったい何人いるでしょうか。
まさに知っていてもできないのです。それほど私たち人間は、弱い心を持っています。大人でもこうなのですから、子供に一度や二度教えたくらいで、しつけの効果が現われるはずもありません。

子供の教科書の研究もやってほしい。

何度も何度も繰り返し、その柔らかい真っ白な心に教えを刻みこんでゆかなくてはならないのです。しかも昨日も今日も明日も例外なく、同じことは同じように叱り、諭さねばなりません。実に忍耐力のいることです。
親だって、いつも同じコンディションで子供に対せるわけではありません。
時もあれば、もう何をするのもいやになってしまう時もあります。それでも「今日はすっかり疲れて、叱る元気もないわ。まあいいか、一日ぐらい」
調子のいいでは済まないのです。
いけないことにはイケマセン
と、こうしなさい
と、根気よくなすべきことにはしつけはうまくいきません。
言い続けるだけの忍耐力がなければ、と同時に、厳しさも必要です。

 

子育てとは誰かに教えてもらうものではないため

子どもの前学校で受けた抑圧から解放することができたのです。

今日は子供の機嫌が悪いから、あんまり泣いて可哀相だから、という理由でしつけのタガを緩めると、せっかく一滴一滴汲み溜めたものも、その隙間からこぼれていってしまいます。
でも、幼い子供にそこまでやるのは可哀相……とおっしゃるかも知れません。
しかし、そんなことはありません。
確かに他にラクなことも楽しいことも知ってしまっている大人にこうしなければいけませんと厳しく臨めば、苦痛を与えることになるでしょう。けれど、はじめからきちんとしつけられている子供なら、こういうものだとしか知らないのですから、本人は自分を可哀相などと感じていません。むしろ、ある時は甘やかし、ある時は厳しくすることのほうが、よほど可哀相ですその意味で、幼児期にさんざん甘やかされたあげく、小学校、中学校と進むほどに勉強、勉強と厳しく締めつけられる今の多くの子供たちが、様々な手段で反抗を試みるのも当たり前ではないかと思います。

子供が生まれても仕事を続けている子は親の後ろ姿を見て育つ子供がしつけを
身に付けていく時、もっとも重要な役割を果たすのは、親の言葉よりも、親の姿勢や行ないそのものです。
教育は耳からよりも目から、と言います。子供が小さいうちから、ああしなさい、こうしなさい、ということを親は絶えず教えていかなければいけません。教えられる側からいうと、これらの言葉は耳から聞いているわけです。その一方、子供たちは目でも親の姿を見ています口に出す事柄は、いわば理想です。体が表わすのは現実です。目で見たもののほうが子供にとって、はるかに大きな影響力を持つのは当然のことでしょう。
どんなに口をすっぱくして約束は必ず守りなさいと言い聞かせたところで、お父さん自らが日曜日に遊園地へ連れて行くという子供との約束をないがしろにすれば、やはりこの教えは身に付かないと思います。
中学生の非行が目立つ。
中学生の非行が目立つ。

経験をしたことがあります。

子どもの行動は落ちついてきます。真に思いやり深いやさしいお母さんの姿に常接している子供は、自然にやさしい心の持ち主となるに違いありません。
まさしく子は親の後ろ姿を見て育つのです。後ろ姿-つまり、建て前や見栄でお化粧された正面の顔ではなく、現実の生きざまを、私たちは子供に見られているのです。とりわけ、子供との接触が多いお母さんは、お父さんよりもずっと長い時間、背中を見つめられていることになります。
つきつめていえば、結局のところ教育とは親の側の問題、と言えそうです。子供をどう育てるかは、親がどう生きるかの別の表現に他ならないのかもしれません。

教育的信念だからそう簡単には引っ込められません。

それだけに決して片手間にやってできる、というものではありませんし、またそうであってはならないのです。子育ては常に真剣勝負、と心得たいものです。
親が育たなければ、子供も育たない子供が親の現実の姿を見て育っていくのなら、理想的なしつけは、完璧な親によってのみなされるでしょうか。答えはノーです。もしそうだとしたら、理想的なしつけなどこの世に存在しません。なぜなら、完璧な親などあり得ないのですから。
仮に私たちが初めから親でいられるなら、完璧な親にかなり近づいた状態で、子育てのスタートを切れるかもしれません。しかし世界中のどんな親も、子供を授けられた瞬間に初めて、父となり母となることができるのです。子供が生まれたその日から、親としての時を無器用に刻み始めるのです。母さんがどういうときに喜んでく


学校で受けた抑圧から解放することができたのです。 母さんの強い口調に驚いて 先生からすすめ

子どもはそれを信じ

子供にピアノの素質もあまりないのに親

この大切な仕事を負わせてもらったことに、命感と責任とを感ずるべきですお母さんはもっともっと誇りを、そして使ところが最近のお母さん方の多くが、自分の人生が子育てだけで終わってしまうのはつまらない、などと言います。なるべく早く子育てを終えて再就職をしたい、自分の趣味に身を入れたいと、心はもうそちらのほうへばかり向いていますとんでもないことだと思います。
繰り返しますが、母親であること以上に尊く、喜びを
得られる職業は他にありません。その自負がなくて、どうして忍耐も厳しさも生まれてくるでしよう。早く子育てを終えたいものだなどという生半可な気持ちを抱いている限り真のしつけも教育もできないのだと、覚悟してください。
親の最大の仕事とはそうかと思えば一方では、子供を完全に自分の中に取りこんでしまって、思いどおりに育ててみせるとでも言いたげな親も少なくありません。子供がもう充分に自分の意志や判断力で行動できる年齢に達してもなお、ベッタリとそばに付いて、一挙手一投足にまで口を出さずにはいられない親-いわゆる子離れのできない親です。

母の起床は朝四時。

その心の中にあるのは、私の産んだ子なのだから、思いどおりになるのは当たり前という誤った認識でしょう。しかしそこまでいかなくとも、自分の子供という考え方は実はどの親も犯してしまいがちな勘違い、とも言えるかと思います。子供は親の所有物でも、愛玩物でもありません。ちょっと妙に聞こえるかもしれませんが、我が子であって我が子でないのです。

子供は天からの授かりものです。と同時に「天からの預りものなのです。すなわち子供を授けてくださった方が私のかわりに、この子を立派に育ててごらんなさい」
と、私たちの腕に委ねられたわけです。ですから親は、ありったけの誠意をもって厳しく育てなければなりませんし、またそれが許されるのです。欠点だらけの親が、それでも子供にああしなさいこうしなさいと言えるのは、他でもない、天から託された、その責任のゆえではないでしょうか。
決して完璧ではない人間が、最大の努力を払って、後に続くもう一人のより良い人間を育てる。そして、他の誰かに喜びを与える存在として、世の中に送り出す親の唯一最大の仕事です。

 

先生がフレーベルの幼児

母親と距離をとろうとする。しつけないことです。

誇るべき、すばらしい仕事だと思いませんか。
これが人間が人間を教え導くのですから、しつけとは全人格をもって当たらなければならない大仕事です。この場合はこうすれば、こういう答えが必ず出る、といった方程式はそこには存在しません。が、しつけのコツ、ポイントのようなものはあります。
優れた教育者でいらっしゃる両陛下のもとで、浩宮さまのご養育に携わった経験、中学·高校の教師として教壇に立った経験、そして五人の子の父親としての経験から、私なにつかんだコツやポイントを、しつけの基本に係わるほめ方·叱り方、心の豊かな子供に育てるための対話の仕方
に分けて書き記してみました。

母さんが結婚したときに買ったもの。一部ほめ方·叱り方篇
しつけ上手のお母さんとはあるお母さんの話です。
幼稚園に通う男の子が、ある日のことはい、これママの顔
と言って、クレパス描きの絵をお母さんに差し出しました。画面の中央では、まん丸の顔をした女の人が、目を糸のように細くしてニッコリ笑っています。お母さんは、その時には特別に何も考えず、その画用紙をタンスの引き出しにしまいました。
数日後、いつものように散らかしっぱなし、ちっとも片づけようとしない男の子を、お母さんは厳しく叱りつけていました。その時ふと、壁に掛けられた鏡の中に映った自分の顔が目に入ったのです。そこに見えたのは、眉も目も不機嫌につり上げた、いかにも恐ろしげな顔でしたその晩、お母さんはふとんの中で、なかなか眠れませんでした。改めて考えてみると毎日毎日息子を叱ってばかりいるような気がします。自分では見えませんでしたが、そのたびに、あの鏡の中に映っていたような恐い顔をしていたのでしょうか。それなのに、タンスの引き出しに眠っている絵の中のお母さんは、あんなにやさしそうに笑っています小さな息子は、いつも見慣れた怒り顔ではなく、笑顔のお母さんを描いてくれました。
父親の出番
父親の出番

子どもに対して無性にイライラしてしまうとき

子供たちのルールとしてつまりそれが、男の子の一番好きなお母さんの顔であり、願いだったのですどのお母さんの一日も、振り返ってみると、ほとんど子供を叱ってばかりなのではないでしょうか。いえ、怒ってばかりと言ったほうが正確かもしれません。これは、なぜでしょうカnoお母さんは、そしてもちろんお父さんも、子供によくなって欲しいのです。ある段階までよくなったら、今度はもっともっとよくなって欲しいのです。だから、ちょっとした過ちや失敗でも、すぐに目につきます。
テレビばっかり見てるんじゃありません宿題はどうしたのよ兄弟ゲンカしないで、仲良く遊ばなきゃダメじゃないの早く手を洗ってきなさい!!
こんなことを、お母さんは一日中言い続けています。ところが、ちゃんと手を洗ってテーブルについている時、仲良く遊んでいる時、よく勉強している時、お母さんは安心してしまって何も言わないのです。
そこでニッコリと笑って、あら、偉いわねの一声が掛けられるお母さんが、しつけ上手のお母さんと呼ばれます。

小学校に通ってい

なぜなら、この一言で子供はグンと伸びるからです。これがほめ言葉の効用です。
良いチの姿に安心して叱らないのではなく、親はもっと積極的にほめなければいけません。ほめ言葉を惜しんではならないのですこれは、ある学校の先生からお聞きした話です。たとえば、子供に作文をさせて、その出来があまり良くなかったとします。そんな時、作文に真っ赤になるほどの直しやバツを付けるよりも、その子なりに懸命に考えて書いた一行、その子でなければ出てこない一句にマルを付けて返したほうが、子供の力をはるかに伸ばすことができるのだそうです。
お母さんも同じです。悪いところにバツを付けるばかりではなく、良いところにもマルを、時には三重マルを、どんどん付けてあげてください。
教育は英語でエデュケーションですが、この言葉にはもともと引き出すという意味があります。両親はついそれに負けて買ってあげてしまいました。


しつけないことです。 子どもは何度言っても同じことを繰り返すのです。 子どもはそれを信じ