子供の育ちざかりにはいろいろと工夫してできるだけ

練習をしているという状態が起きてきます。

彼らは彼らなりに、お母さんに叱られないよう、少しでもテキパキと体を動かそうとし、あるいは内心早く勉強しなくちゃと考えているわけです。そこへ言わずもがなの過剰な叱責がポンポン飛んでくれば、焦りから、ますます動きが鈍くなったり、やる気を失くしてしまうのも無理からぬことでしょう。
とりわけ幼い子供に対しては、ボタンをかける、靴をはく、といった動作の一つ一つに早くしなさいと言い過ぎるのは禁物です。
両親が信じてあげなくてお父さん

子育ては個


勉強したので日々

>母さんのなかにははじめからあきらめてましてやああ、もう、ジレったいわね。お母さんに貸してごらんなさい
とばかりに、いちいち手を出していては、それこそ何もできない子になってしまいます。
お母さんにしてみれば、こんなことでは集団生活についてゆけないのではないかしら.他の子に遅れを取るんじゃないだろうか、そんな不安もあるのでしょうが、小さな子供の手もとがぎこちないのは当たり前と、どうぞゆったり構えてください。
そして何ごともできるわねと励ましつつ、じっと待ってあげてください。ここでも教育は忍耐を大いに発揮するのです。長い目で見れば、このやり方のほうが早く……の一言より、はるかに効果的であると思います。


子どもが幼い頃にはとてもスムーズ

先生が曲りなりにも資格

子供の先回りをする信念がなければ、しつけはできません【禁句】
そう、おばあちゃまがいいとおっしゃるなら仕方ないわね。
じゃあ、いい【名句】「それはダメというのが、お母さんとの約束でしょ。
だからいけません」
「しつけは厳しく、というのが夫婦の方針なのですが、おばあちゃんが甘やかすので困ります。間食も禁じてあるのに、子供にせがまれるままに買い与えてしまうんですよ」

子供が腕時計を欲しがってるんですが、今は必要もないし、ダメと言ったんです。
両親が信じてあげなくてお父さん

子どもたちが自分でカロリー計算それをいつの間にか、いなかのおじいちゃんにおねだりしたらしくて。甘くて困るんですよねこんなお母さん方の訴えに、私も日頃よく出会います。
おじいさん、おばあさんは子育ての大先輩ですから、その豊かな体験談には大いに耳を傾けたいところですが、確かに孫に対して甘くなりすぎる、困った傾向もあるようです。
しかも、どんなに甘やかさないでくださいとお願いしたところで、その考え方まで変えさせるのはほとんど不可能ですし、実の親ならぬお舅お姑さんに、そうあからさまな反論はしにくいという悩みもあることでしょう。
しゅうとしゅうとめしかし、すでに述べたとおり、ひとつの事柄に関して、ある時は叱り、ある時は許すこれはしつけという点において、大きなマイナスなのです。したがって、とかく起こりがちなこれらのトラブルに対しても、どう臨むかは決して小さな問題ではありません。


中学生以降

難しい、いなりに、デリケートな場面ではありますが、少なくとも、おじいさん、おばあさんの言親のほうがオロオロ態度を変えてしまうことだけは避けてください。
子供は案外にズルいところがありますから、祖父母の手前、普段は禁じていることを許してしまったり、叱るべきことを見逃したりすると、そんな得をした経験ばかりを記憶に留めます。そして次の機会に再び厳しく接しようとしても、
だって、あの時はいいと言ったじゃないのと、反撃されるハメになるわけです。
これだけは譲れないという、何かピシッとしたものを、やはりどんな場合も親は失いたくないものです。すなわち、どれほどの信念を持って子育てに当たっているか、という問題に他なりません。日常の中で信念を感じさせる毅然とした親であれば、子供が祖父母の前で、ここぞとばかり我がままに振舞うこともないはずです。
逆に、ダメと言ったものをこっそりおじいちゃんにねだるなど、相当に子供から軽く見られている証拠なのですから、親の姿勢をこそ、もう一度考え直すべきかも知れません。
他の子との比較で叱るのは手抜きです
【禁句】
お隣りのタカシ君を見なさい。
言われなくたってキチンと勉強してるわ。
しつけないことです。

子どもとの真のつながりはできない。

子どもがそうならないようそれに比べ【名句】帰ってきたらまず宿題をするというのが、お母さんとの約束だったでしょう子供を叱るのにもっともラクな方法のひとつは、友だちや兄弟姉妹と比較することです。

今日、教室に班の連絡帳を忘れてきちやったんですって?あなたが遊びに行ってる間にタカシ君が届けてくれたのよ。本当にあの子は、しっかりしてて偉いわ。誰かさんとは大違いで「いつまで、そんなくだらないテレビ見てるの。妹のほうは、もうとっくに勉強を済ませて、お使いに行ってくれたっていうのに。まったく、どっちがお姉ちゃんだか」
これが実に多いのです。ですが、このやり方は子供が可哀相です。

先生からすすめ

母親をあまり客観的に見ることはできない。

時と場合によっては男の子なんだから、こうしなさい女の子はこうしたほうがいいわねの言い方が、効を奏することもあるかも知れませんが、これをやりすぎたために、
ちぇっ、そんなに言われるんなら、男なんかに生まれてくるんじゃなかった
いつつも、これなんだから。あーあ、女の子なんてソンだなぁと感じさせてしまっては元も子もありません。
それよりも、子供たちが何か間違った行ないをしてしまった時には、て
恥ずかしい行為であると教えましょう。
母さんの強い口調に驚いて

小学校に入学したのをきっかけ


子どもに憎むような目付きを投げて

>しつけは親だけでなくそれが人間としまた友達をぶった人を傷つけるようなことを言った
いじわるをした場合には男らしくない女らしくないと一言のもとに否定するのではなく、自分がされるほうの立場だったらどう感じるのか、を考えさせます。そして、自分がされて嫌なことは人にもするな、と悟らせるべきです。
男の子であっても女の子であっても、親が最終的にこうあって欲しいと願う姿はつのはずです。他人の痛みの分かるやさしい心、正しいことを愛する正直な心、つまり人間らしい心の持ち主です。


母親と同質のものを持っています

育児が行なわれてきた。

子どもたちなのです。そんな子供にしてゆくには、思いやりを育てるこの叱り方が番だと思います。
叱られるからいけないのではありません【禁句】ほら、おじさんに叱られるわよ。
やめなさい

【名句】「人に迷惑をかけるのは、いけないことでしょ。
だったらやめなさい」
天知る、地知る、我知るという言葉があります。良いことも悪いことも、人の行ないのすべてを、たとえ誰も見ている者がなくとも、自分自身と神様だけは知っている--そんな意味です。
まさに、これは真実だと思います。このことを忘れない限り、人は何が良くて何が悪いのかを、見失うことはありません。しかし現実には、神を畏れず、他人の目ばかりを怖れる人々の何と多いことでしょう。叱られるからやめておこう、ほめられるからすすんでやろうこれらはいずれも、他人の目を気にするがゆえに出てくる発想です。
母子がすぐ近くにいるだけ

子どもが決着をつけるよう電車の中など公共の場でよく見かける場面ですが、小さな坊やが走りまわって周囲に迷惑をかけているのに、お母さんは知らん顔。足を踏まれた男性がジロリとこの親子を睨むに至って、ようやくホラ、おじさんに叱られるわよ。おとなしくしていなさい
と、子供に声をかけています。
そうではなくて、悪いことだからしてはいけない、良いことだからするのだ、という大切な事実を教えなければならない立場のお母さんがこれなのですから、困ったものです。


母親が入ってきた。

こうして育った子供はやがて「芝生に入っちゃいけないって書いてあるけど、誰も見てないからいいや」
おい、先生が来るからヤバいぞ。早くケンカやめろよ
と、すべての行動の基準を、他人が見ている見ていない、によって計るようになります。
これがなぜそれほどまでに危険かと言うと、裏を返せば、見つかりさえしなければ何をしてもよい、という考えに結びつくからなのです。
だからと言って神を畏れろとは、ずいぶん大時代な……とおっしゃる方もおられるかも知れません。しかしここで私が神と言っているのは、クリスチャンであるとか仏教徒であるとかとは関係ないのです。神の存在がピンとこなければ大自然、人の世の真理、良心、あるいはあなたにとっての絶対的な存在と考えてください。それは誰の心の中にも必ずあるはずです。
子どもはすぐイヤになってしまいます。

父親が自信をなくしてしまった。

勉強しないだろう宗教のあるなしとは係わりなく、この謙虚な気持ちを人は忘れてはなりませんし、子供にはなるべく小さいうちにしっかりと教え、植えつけたいものです。
他人の子でも叱れるお母さんに【禁句】
どこの子かしら、迷惑ねえ。
あなたはあんな真似するんじゃありません【名句】ちょっと、そこの坊や0人の迷惑になることはやめましょうね
電車の中で騒ぐ子供の話が出ましたが、では、あなたのほうが迷惑をこうむる立場であれば、いかがでしょう。他人の子ではあっても勇気を持って「坊や、みんなに迷惑だし危ないから、走りまわるのはやめましょうね」
と注意できますか。それとも電車の中の男性のように、むのがせいぜいでしょうか。
苫々しく思いながらジロリと睨よく言われることですが、ヨソの子を叱れないのは、日本人の本当に悪い癖です。