大学の先輩

子どもの要求に対して

また、教師の中には、成績の悪い子どもに対して特殊学級へやってしまうぞと脅迫している者がぁります。精神薄弱児の人権を無視していることにもなり、子どもたちに差別の教育をしていることになります。このような発言をする教師は、教育者としての資格はありません。
実は、障害という概念についても、それを追求してみますと、劣るというよりも個性としてとらえられることが少なくありません。個性とは、その子どもが持って生まれた一つの特性と言えるものです。また、これまで障害児と言われてきた子どもについて、
個性を見つける教育の方法をもっともっと開発していく必要があるのです。

母さん私はここで死にます

個性を見つけるという教育は、ふつう児にも言われなければならないことですから、教育の理念は、両者に対して少しも変わらないことになります。
その点で、現在の画一的な教育が、子どもたちを差別し、福祉の理念に反するものとなっているのみでなく、正しい意味での友達関係を破壊することにさえなっていることを考えてみなければならないでしょう。
一人一人の子どもを大切にする--このことは、をも含めて考えられなければならないことですこれまで障害児と言われてきた子ども
子どもを人質にしないPTAを教師は、子どもたちの両親を大切にすることが必要です。どの両親も、自分の子どもを教師によって伸ばしてもらうことを期待していますし、それにも増して、教師から可愛がってもらうことを期待しているのです。ですから、先生の言うことは、よく聞くのですよと、教師に対する絶対的な忠誠をさえ教えてきたのです。

 

子ども自身がまるで気づかないうちにです。

子どもは甘えても甘えて子供の育ちざかりにはいろいろと工夫してできるだけ

それに応えるためには、子どもはもちろんのこと、両親をも大切にすることです。ところが、学級の子どもに問題があると、その両親を非難する教師になってしまうことがあります。両親も、教師と同様に、未成熟な人格の持ち主であり、ともにいろいろな悩みを持っている存在です。そのことに思い当たるならば、両親とともに少しでも成熟しようと、相携えて努力しようという心になると思います。ところが、教師という立場になると、いつの間にか、高所から、両親に対する訓戒や説諭をする状態におちいってしまいます。しかも、訓戒·説諭をしたままで、ともにどのように努力をしたらよいかについて話し合おうとしません。つらい思いをして家に帰ってきた両親は、子どもを責めるだけに終わりますます問題行動を著しいものにしていることが少なくないのです。

大学の教授になったばたずさある母親は、教師によって
子どもを人質にされたようなものだと述懐していました。
先生に何を言っても受けつけてくれないというのです。つまり、教師は、似て非なる権威権力にあぐらをかいていることになり、封建時代そのものの姿があるというのです。
民主的な社会では、教師と両親とが対等に話し合うことが必要ですし、それがPTAの理念です担任教師にものを言うことができなくなった両親は、そのまま泣き寝入りをしていることもありますが、他の教師を頼って不満をぶつけることがあります。そのようなときに、母親に同情して担任教師の悪口をそれとなく言う教師もいます。子どもたちには、いつも仲よくしなさいと言っているのに、教員室の空気は、いつも陰にこもって仲がよくないということが、しばしばです。
子どもの着替えをさせる
子どもの着替えをさせる

育てそれに自己をささげることができる人である。

子どもには自発性の発達が妨げられています。教員同士が本当に仲よくするにはどうしたらよいか、同僚をよく言える教師になるにはどうしたらよいか、その点について、新しい教員室の雰囲気を作り出す努力が必要になります。それが、実は、子どもの問題を解決することになり、協力して両親の悩みを解決することにもなるのです。
その点では、まず、古い時代のとくに封建時代から伝わってきた教師の権威権力を、もう一度考え直してみることから始めなければならないでしょう。民主的な教育を子どもたちにしなければならないのに、教師の意識がタテ社会のものであったのでは、決して本物にはならないでしょう。両親を大切にし、同僚を大切にする教師になるよう、教師自身の人格の変革が必要です
知っていることとできること
身のかたわらに美しいと付けて
しつけと読みます。

子どもたちに教えたのではありません。

誰が使い始めたのか、本当によく考えて作られた漢字だと思います。
ことの善悪、何をすべきで何をすべきでないかを、まったく知らない白紙の状態で子供は生まれてきます。これを教えるのは親の仕事です。しかし、単に頭の中の知識として覚えさせただけでは、しつけをしたとは言えません。教えると同時に、その実践を習慣として身に付けさせた時、私たちは初めてこれをしつけと呼ぶのです。すなわち、理解に行動が伴っていなければなりません。知っていることできることとは別なのです大人はどうでしよう。して良いことと悪いことの区別もつかないほど非常識な人は、ごくわずかだと思います。子どもなのだ。


子供の育ちざかりにはいろいろと工夫してできるだけ 子どもはそれを信じ 父親は家にいる時間が昔

母子がすぐ近くにいるだけ

先生にも目の向けどころを変えてもらいたい

つまり良い面を引き出す意欲を引き出す、これが教育ということになります。叱りつけて、これらを引き出すのは難しいですが、ほめられた時、期待された時には
大人でさえ、やってみて良かった
き上がるではありませんか。

よし、今度も頑張ってみようという気が自然に湧ちょっとしたほめ言葉の効用ほめることにあまりにも慣れていないお父さんお母さんは、急にほめなさいと言われても、何をどうほめたらいいのか、ちょっと戸惑うようなところもあるいはあるかもしれません。でも、それは簡単なことです。難しい言葉も必要ないし、長い表現もいりません。
頑張ったねよくやったねやればできるじゃないお前なら絶対大丈夫安心だわ信じてるよ
たった一言ずつでいいのです。

子どもが決める

いくら良いことをしたからといって、いちいちほめていたら、甘やかすことになるのではないか、という心配は無用です。どうしたって親は叱るべきことばかりに目がいくのですから、少し意識してほめる点を探すくらいで、ちょうど良いバランスが取れると思いますあとは、なるべくプロセス過程をほめるよう、気を配ることです。世の中全体は何ごとにも結果を重視する傾向にあります。受験生がどんなに一生懸命勉強したんですと主張したところで、テストの結果が思わしくなければ、大学は入学を認めてくれません。
本当に好ましくはないことですが、ない部分があります。
学校の先生ですら結果で子供たちを評価せざるを得子供の一番そばで、結果へ至るプロセスを見守ってあげられるお母さんだけが、とした努力や工夫をほめる資格を持っているのです。そして、それをほめる時こそ
あ、やっぱりお母さんは私のことをちゃんと見ていてくれたんだちょっと、子供がもっとも喜び、安心する瞬間なのです。

 

母と娘というものです。

子どもになってしま特父親は家にいる時間が昔

叱り方三つのポイントこうしてゆくと、子供は叱らずにほめたほうが良いということになりそうですが、実はそれは違います。ほめることは必要ですが、叱ることもまた欠かせません。ほめること
叱ることが、両輪のように上手に回転して初めて良いしつけという車は走り出すのです子供はいたずらや失敗をした時、あ、これは叱られるなということを自分でも感じています。ところが予想に反して、お母さんは何も言いませんでした。子供はホッとして、また同じことを繰り返します。それでもお母さんが叱らなかったら、子供はどう思うでしょうカ「お母さんは、どうして叱らないんだろう。ボクのことなんかどうでもいいのかな」
noと、だんだん不安になってしまいます。
子供も決して珍しくはありません。
事実、親が叱ってくれないと言って非行に走る叱ることは必要です。ただ叱り方を間違えるな
ントを三つ、ご説明しましょう。
ということなのです。
叱り方のポイまず第一に、叱る怒るは違うことを知ってください。

子供からどのような姿にうつっているのだろう怒るのは感情です。
子供の行為にカッとなりヒステリックに怒鳴っても、教育的効果は望めません。さきほどもちょっとふれましたが、ほとんどのお母さんは怒っているのです。もちろん感情のない人間はいませんから、怒らないでいることは易しくはありません。私自身、子供たちが小
さかった時分を思い起こすと、やはり叱る
より怒る
ことのほうが多かったと反省しています。
一方、叱るとは、ある程度の距離を置き、冷静にことの善悪を判断して、ピシッとした注意を与える行為です。心にゆとりがありますから声も穏やかで、的を射た言葉が出てきます。しつけに本当に効果があるのは、こちらの叱るほうだけです怒らずに叱るためには、叱り方のコツに通じていなければなりません。
小学校五六年生のときに教師から三羽烏と謳われ国立
小学校五六年生のときに教師から三羽烏と謳われ国立

勉強のできるしっかりした子なのです

母さんが祈って祈ってこの世に生まれてきぜひ、上手な叱り方の工夫というものを研究して欲しいと思います。
お母さん方には二つめのポイントは、その場で叱る心掛けです。

お前はあの時、こんなことをしたでしょ!!
とくに小さい子の場合はなどと、時が経ってから叱っても何の役にも立ちません。叱るべきことは、それが行なわれた時点で叱るのが原則です。少なくとも、それが親にわかった時点で叱らなければなりません。
これは簡単なようでいて、意外に徹底されていないのです。たとえば、人前で子供を厳しく叱るのは
みっともないのでお客さまのみえている時に子供が禁じてあることをしても
あらあら、イヤねえ、ホホホ……で済ませ、心の中であとでひどいからねなどとつぶやいています。

勉強なこと言ったって手遅れだよねえ

けれども、しっけにあとでは通用しません。幼い子であればあるほど、都合の悪いことはサッサと忘れます。
また、小学校の上級生ぐらいになると
お母さんたら、お客さんの前だからイイカッコして3と思うでしょう。親の権威も何もあったものではありません。
他人が見ていようがいまいが悪いことはタイミングを逃さず、その場でピシリと叱るのがよいのです。
最後は例外を作らないということです。これが一番重要ではないかと思います。昨日は叱られたその同じことを、今日はお母さんがテレビに夢中になっていたので、ちょっとうるさそうに睨まれただけだった。
いことなのか、子供は判断の基準を失ってしまいます。しつけの効果が上がらないどころか、後もどりすることになります。大学紛争がおこった。


父親は家にいる時間が昔 学校で受けた抑圧から解放することができたのです。 大学の先輩