子育てに担う役割は単なる

学校へ出すことに焦る

教育者は、子どものよい点を引き出すことに力を注がなければなりませんし、その目を持つことによって次々とよい点が見付かるものなのです。
よく学んでいても、成績がよくない子どももいるでしょう。それは、子ども自身の力が足りないということもありましょうし、教師の教育法がへたで、その子には合わないといぅこともあるでしょう。宿題と同じように、点数をつけて子どもや両親に示すだけでは意味がないのです。
テストは、自分がその子どもにどのような努力をして、学力を向上させたかを、身が反省するきっかけとしなければならない材料だと思います教師自私自身は、教師になって数年してから、A以外はつけないようになりました。教育をする以上は、どの子も、必要なレベルまで到達させるように努力しなければならないと考えたからです。
ですから、試験をして、一人一人についてよく理解のできていない箇所があれば、その点を指摘して、勉強し直してもらうのです。

先生の止めるのもきかず修学旅行に出かけ

またテストをしてみて、更に理解できていないときには、いっしょに本を読み合ったりして補習の努力をします。そしてAになるまで努力をするわけですから、結局、すべての学生がAになるわけです。それが、教育者としての大切な営みと考えたからです。
そのような努力をしてみても、なかなか理解の乏しい子どもがいるでしょう。その場合にはその子どもが理解しやすい教科から学習をすすめていくこともありますし、あるいは友達とのグループ学習で理解を深めることができたという例もあり、教授法を考え直してみるきっかけにもなります。
そのような努力をしないで、悪い点数をつけている教師は悪い教師だ、と気がついてから、私は、自分の子どもの通信簿を見ないようにしました。今でも、
悪い点数をつけっ放しでいる教師は、悪い教師だという考え方は続いていますとくに、親との面接のときに、学業成績のことから話し出す教師は、学力偏重の教師として、悪い教師だと思っています。

 

子どもの本質

成績である。母子がすぐ近くにいるだけ

私の尊敬する教師は、
学業の成績はなかなかあがらないが、実によい性質をもっている子だということを言う人です。ですから、両親との面接のときには性質のよさについて話し合っています。両親は、教師と面接するときには性質をよく見ていてくれる教師かどうかを、まずたしかめることが必要ですそのことは、通信簿にも現れています。子どもの性質、行動について記入されている欄がありますが、両親がもってきて私に見せてくれたときに、その欄に目を通すことにしています。そうすると、教師の人格がわかります。実に温かい書き方をしている教師か、冷たい教師かがわかります。励ましを与えられるような書き方がされており、じーんと目頭が熱くなるような温かい記述があります。

両親にはどちらもかわいいわが子に違いありません。私の尊敬する教師は、その欄を書くのに、徹夜をすることさえあるそうです。それほど熱心に、子どもやその両親の心を大切にしようとしているのです通信簿を見た両親は、点数がよければニコニコするでしょう。とくにオール5であつたりすると、玩具でも何か欲しいものでも買ってあげようという気持になるでしょう。ところが、そのような小学生の中から、中学校や高校にいって急に学習意欲を失う子どもがいるのです。このことについては、すでに述べたところです。ですから、成績のいい子は危険な子-ともいえるわけです。
成績がよい子どもであると、教師も両親も、直ちによい子だと思ってしまって、子どもの真の能力や性格を見抜いていない場合があることです。よい成績をあげている子どもの中には、先生や両親からほめられようと思って外向きの学習をしているのであって内面化していないのです。内面化とは、自分でした勉強に面白さを感ずることです詰め込み教育
からのびのび学習
へ学校においても、子どもの自発性を尊重した教育法を考え出しました。それが、オープン·システムです。子ども自身が自発的に教科を組み立て、自分なりの教育課程を作り出す!それを援助するのが教師です。
子どもの姿なのです。
子どもの姿なのです。

先生は理科

育て方に迷って弱りきっています。ですから、学年制もはずしているのです。その代り何人かの教師が協力し合って教授することが必要になります。チーム·ティーチングと言われているものですこの方法の可否はともかくとして教授法をかえればよく伸びる子どももいるはずですとくに子どもの自発性を尊重し、それに基づいて創造性をゆたかにすることを考えるならば、従来の詰め込み方式は、全面的にかえる必要があるのです従来は、悪い意味での学級王国でした。教師が王様のようになり、子どもに命令や指示を与えているという雰囲気がありました。他の学級の教師との連絡はないし、子どもたちについても、とくに問題のない限り、他の教師と意見を交換するということもありませんでした。一人の教師の子どもを見る目は狭いこともあり、その教授法がまずいことがあります。それを、教師間で助け合っていく必要があります。

子どもも気楽にほかの遊びや物事に心を移して

学級担任を中心として、子どもや教授法について討論する時間がなければなりません。
一人の教師の見方が狭いことは、前の担任が問題児としていた子どもを、次の担任は少しも問題がない-ということからもわかるでしょう。教師の子どもに注ぐ目がたくさんにあればあるほど、子どものよさも見つかりやすく、教師の誤った評価も是正さ
れる可能性が大きいのです。
そうした意味もあって、オープン·システムは、めに一つの大切な教育の方法だと思います。
これまでの教育界の欠陥を打ち破るたすでに文部省でも指摘しているように詰め込み主義の教育を打ち破らなければなりません。大学の客員教授として招かれて


母子がすぐ近くにいるだけ 子どもはすぐイヤになってしまいます。 子育てに担う役割は単なる