子どもを導こうと力ん

母親にたずねました。

子どもが将来
こんなお父さんが、家庭でだんだん
お客さまのような存在になってゆくのです。お父さんがお客さまという家族関係が決して健康的ではないこと、危険な歪みを内包していることは、ご存知のとおりですさて、話を対話に戻しましょう。家族揃っての楽しい夕食の席に、無遠慮に入りこむジャマ者がいます。テレビです。テレビを見ながら食事をすることについては賛否両論あるようですが、私は絶対に反対なのです。
お父さんもお母さんも子供たちも、全員がテレビに見入りながら黙々と食べるのだっら、何のために一緒に1つのテーブルを囲んでいるのかわかりません。また、こうしたながら病のクセを覚えると、肝心なところでケジメのつけられない人間になってしまうものですテレビ自体が必ずしもいけないとは思いませんが、テレビはテレビで食事の後にでも揃って見て、感想を話し合うなど、これも大いに対話の材料とすれば良いのです。
だんらん夕食の席での、あるいは夕食後の団欒での話題ですが、これはことさらに子供を意識しそのレベルに合わせる必要などまったくありません。とかく子供のいる場では何でも子供中心にしてしまうのが、日本人の悪いクセです。
子どもはみんな四十歳で死んでしまう

子どもたちがいます。

時にはお父さんとお母さんが熱心に議論を戦わせている、その横で子供はすべてを理解することはできないながらも、このやり取りを見守っている。そんな図があってもいいのではありませんか。両親が一つの事柄について真剣に考え、話し合っている姿を見せるのも、子供にとって大きなプラスだと思います。
本当の意味での頭の良い子
にこの章では、限られた意味での対話のコツだけでなく、もっと広く本当の意味での頭の良い子に育てるために、言って欲しいこと、言ってはいけないことをまとめました。

 

体験が自分

そういった子供は、両親との豊かな対話の中でこそ育まれてゆく、という考えもあったからですなかには家庭学習の仕方に関するものなど、学校の勉強と直接的に結び付いた事柄も若誤解しないでいただきたいのは、その目的は決して
勉強のでき干含みましたが、こ成績の良い子
を作ることではない、という点です。
私のいう本当の意味で頭の良い子とは、それらの子供たちとは必ずしも一致しません。頭の良い子とは、自分の頭で物ごとを深く考えることのできる子、同時に人の気持ちも深く思いやることのできる子、豊かな感受性を持っている子です。人間としてバランスのとれた子供です。
母親らしい存在なのだと錯覚している。

母親の愚痴を聞かされる
成績の良さなどは、その結果として現われてくるにすぎませんですから
本当の意味で頭の良いチは学校に任せておいて育つものではなく、家庭における両親、とくにお母さんの教育の影響が大きくクローズアップされてくるわけです反対に言えば、お母さんのしつけ方一つで、頭の良い子
に育てることは、少しも不可
能ではないのです。なぜなら、どんな子供も、その現われ方が違うだけで、心の中に無限の可能性を秘めているのですから。それを信じることのできるお母さんだけが、母親というすばらしい仕事を、みごとな成功のうちに収められるのだと思います。
本当の親子の対話って何でしょう【禁句】
この頃学校はどうなの。
ちゃんと先生のお話分かってる?

 

母さんを感激させるよう

一方、学習の進み具合はどうか、最近どんなことをしたか、つまり勉強と行動面の話だけ聞いておけば、それで子供を理解したつもりになっている親も多いのですが、これには賛成できません。単なる子供の管理に終わる会話では、その心を豊かに育むことなどとうてい望めないからです。
私たちは、目まぐるしく変化する社会の中に生きています。日々身のまわりで起こる事柄について、まったく何も感じない人間はいないでしょう。子供でも同じです。親子が互いに感じたことや考えたことを話し合う、そんな時間こそが子供の心を成長させ、親子の生き生きとしたつながりを作るのではないでしょうか。
世界中の様々な出来事、政治や経済について、あるいは人生について、子供には少々難しいと思われることでも、どんどん日常の会話に取り入れていいと思います。

子どもに渡します。


だったらいいけど【名句】
今のテレビ見ていて、お母さんこんなこと考えさせられたわ。
あなたはどう?
親子の対話、などと言うと、ひどくあらたまった感じがしてきますが、実際に両者のやり取りがまるきりない親子というのは、まれだと思います。お父さんが忙しくて子供とはほとんどすれ違いの生活をしている家庭でもおい、調子はどうだうん、まあまあだよ
たった一言ずつの交換で心を通わせ、子供に安らぎを与えることは可能です。
しつけをすべきところで見逃してしまいがちです。