子どもは何度言っても同じことを繰り返すのです。

母親であることの良さを強調したい

そのために、教育課程審議会も発足しています。ですから、教師も両親と手をつないで、どのようにしたら本当に子どもが
のびのびと学習できるか、そして、学力がつくかについて、いっしょになって考えてみなければならないでしょう。それも、目先の学力ではなく、受験のためのものでもなく、小学校であれば、中学や高校にいってからの学力-という見通しの中で、考えてみなければならないことです。
とにかく、現在の教育は、学力偏重と言われており、しかもその学力も本当に子どもの力とはならないような教育のもとで行われていることが、多くの人々によって指摘されているのです。その犠牲から、一日も早く、子どもを救わなければなりません。
障害児と共に学ぶということ障害児とは、目や耳に障害のある子、手足に不自由のある子、言語に障害のある子、虚弱の子、知恵のおくれている子、情緒に障害のある子などさまざまです病障害児と聞いたときに、教師はどのような概念でとらえるでしょうか。ふつうの子どもと対比して、特別な子どもとしてとらえるのではないかと思います。

高校にも行かないまま。

従って、ふつうの子どもといっしょに教育することはできない子どもと決めてしまっている教師さえありますところが、障害児と言われている子どもでも、文明の利器や教育機器の開発によってふつうの子どもといっしょに学習することが可能となってきました。例えば、弱視であっても眼鏡によって補正することができます。それを逆に言えば、眼鏡を用いている教師も視覚障害者ですが、立派に子どもの教育をしているわけです。難聴の子どもも、補聴器の発達によって、ふつうの子どもといっしょに学習する可能性がふえてきました。あるいは手足に不自由のある子どもにも、学校の施設設備に工夫をすることによって、全教科ではないにせよ、普通学級での学習に参加することが可能になったのですでは、なぜ障害児に対する特殊学級が設置されているのでしょうか。それは、歴史的に眺めてみる必要があります。盲とろうとを除いては、教育外の子どもとして、放り出されていた時代があるのです。それを救って、教育の路線に乗せてあげなければならないという考え方から、特殊学級や養護学校が設置されるようになったのです。

 

子どもはスッと寝室へ行く

子ども自身の自覚を促すしか方法がない。子育てに担う役割は単なる

しかしそれらの子どもを教育してみますと、ふつうの子どもの中で教育する部分を見つけることによって、その刺激を受けて、発達が向上することがだんだんにわかってきたのですそこで、障害児をも含めて流動的な学級経営を考えるようになり、親学級子学級の考え方がでてきたり、障害児が普通学級へ部分的に参加するという試みもなされるようになったのです。統合教育です。しかし、そうした試みに対して、いつも抵抗がぁるのは普通学級の教師です。そのことばは、一人の障害児のために、他の子どもが迷惑になるという点と、「大勢の子どもをかかえているので、一人の子どもをよくみてあげることができないから、特殊学級でやってもらいたい」という点です。

学校から帰ってきてさらに、ふつう児の親たちが反対するということを理由にあげる教師もありますふつう児の親たちが反対しても、その教師の信念が確立していれば、よく説明をすることができます。とくに、両親教育の一環として考えることができます。そのためには、障害児がその学級にいることが、ほかの子どもにもプラスになることが必要です。その点で非常に重要なことは、教師自身の障害児に対する考え方であり、人生観であり、人格です障害児が学級の中にいることが、他の子どもたちに、福祉の理念を育てることに役立つという考え方に基づいて教育をしている教師は、障害児を大切な子どもとして考えています。ですから、ほかの子どももそれを学習してゆき、子どもたちがそれぞれ自分なりの障害児とのつき合い方を発見していくものです。そこには、決して可哀相な子という憐れみの心はありませんし、人間として差別する心もありません。
子どものそばを離れてやることですね。
子どものそばを離れてやることですね。

母さんの一日も振り返ってみるとほとんど

両親にとっても教師に言われています。そのような心が育てられた子どもが成長して大人になったときには、真の福祉国家の実現が望まれるわけです福祉の理念がそれぞれの子どもの心に育つには、どうしても実践が必要です。ふつうの子どもの両親もまた、障害児の両親に対して、自分なりのつき合い方を考え出すことがその人格をゆたかにすることになるのです。このことを考えるならば、障害児がいると迷惑だと言う親の発言は、誤った学力偏重であり、差別意識を自分の子どもに植えつけており、日本の将来を暗いものにする福祉国家の理念に反する教育をしていることになりま
す障害児を含めての教育の実践をどのようにしたらよいかについては、今後において研究しなければならない点がたくさんに残っていますが、それらを研究してみますと、真の教育は何カーという重要な命題の前に立たされることになります。

子どもの自発性を養うため

障害児の教育を通じて初めて、ふつう児がよくわかってくる面もあるのです。
その中で、とくに考え方としてむずかしいのは、知恵のおくれた子どもについてです。
知恵おくれの子どもたちを、どのように学級の中で考えたらよいか。その点では、例えばIQで表現するならば、ふつう児といわれている子どもの中の1Q九一の子どもと、境界線児といわれている1Q八八の子どもとの差がどこにあるか、あるいは、IQ七六の境界線児とQ七四の精神薄弱児とどこがちがうのか-ということを考えてみる必要がありまた知恵テストの方法によってもそれら1Qがちがってきます。従って、IQ七五以下を精神薄弱とすること自体に問題があるわけです。また、テストの結果や学業成績についての評価が誤っているために、精神薄弱というレッテルを貼られている子どもさえもいますし、精神薄弱のための特殊学級の中に、高知能指数児もいるのです。
そのような子どもの両親の中に、普通学級の教師に対して、強い敵意を持っている者があります。普通学級から追い出された-という意識を持っているのです。母さんは夜仕事から帰ってきてから毎日五分ほど


子育てに担う役割は単なる 父親は家にいる時間が昔 母子がすぐ近くにいるだけ