勉強ばかりさせられている

成長に計り知れない効果をもたらします。

子どもも同じことをするようになります。
教育の本質をつい

本当に子供の身につきますし、そうして失敗を重ねてようやく成し遂げた事柄は、満足感と自信とが、その次のやる気につながってゆくのです。
き兄弟ゲンカは止めるばかりが能ではありません【禁句】
お兄ちゃんでしょ、どうして妹をいじめるのよ。
泣いてるじゃないの【名句】
お兄ちゃんにいつも可愛がってもらってるでしょう。
だったら言うことも聞かな兄弟姉妹が仲良く遊んでいれば、それに越したことはありません。
それなりの意味があります。ただ止めるだけが能ではないのです。

子どもとのかかわりであると思うというのです。

兄弟ゲンカにだって何らかの理由で実際に憎み合っているならともかく、ごく普通のケンカなら、見た目ほど深刻なものではありません。終わった後はお互いにけろりとしているようなケンカであるなら、むしろやらせるべき、と私は考えています。
家庭という小さな社会において、兄弟は第一の仲間であり、ライバルであり、協力者です。その両者の間の様々なかっとうの積み重ねで、子供は鍛えられてゆくのですから男の子同士なら、体と体のぶつかり合いも時には結構でしょう。また力の弱い幼いうちにブッたりブタれたりを経験しておかないと、体力がついてからの初めてのケンカで、いきなり力まかせに相手を殴り、大ケガをさせることがあります。
ただ、部屋の中での取っ組み合いは確かに危険ですから、なるべく障害物のない庭や広場に放り出して、そこでやらせるのです。

父親がいないため

ケンカもだんだんお相撲ゴッコのようになってしまって、最後はもうやめようということになってくるものです。
これはちょっと度が過ぎるなと思われるケンカの場合は、間に割って入って、どうして争いになったのか、二人の言い分を公平に聞いてあげてください。決して原因も確かめずに一方のみを叱ってはいけませんし、よくあるように、年上のものだけを責めるのも、よくありません。ただし、次のような言い方はかまわないと思います。母親らしい存在なのだと錯覚している。

子どもに尊敬される

あなたは弟なんだから、お兄ちゃんの言うことは聞きましょうね
お兄ちゃんなんだもの、妹は可愛がってあげなくちゃね
何でもかんでも平等でなければ、という民主主義への誤解から、最近は年上の者を尊敬する、年下の者の面倒を見る、という当たり前のことまで忘れられがちです。しかし、これは大切なことだと思うのです。
年齢の幅のある近所の子供たちが一緒になって遊ぶことで、ごく自然にそれを学べた昔と違って、今は兄弟の間ぐらいでしかチャンスがありません。兄弟ゲンカを機会に、親しき仲にも守るべき礼儀のあることだけは、教えておきましょう。
容姿を、叱る材料にしてはいけません【禁句】

先生って当てがいぶちですからね。
保育園という

練習をしておかないと案外むずかしいものです。

父親であったという。「まったく可愛くないわね、あなたって子は。
せめて愛嬌のある表情ができないの」
【名句】「ほら、そんないいお顔ができるじゃないの。
誰だって笑顔が一番きれいなのよ」
本人の努力だけではどうにもならないことを叱ったり、イヤミを言ったりするのはタブー。これは、どなたにも納得のいくことだと思います。ところが現実には、しばしばそんな場面に行き当たるのです。
本人の努力だけではどうにもならないこと-とりわけ容姿に関してです。可愛くないんだからホントにチビだねなどはまだ良いほうで、なかには女の子に向かって平気でブスと言うお母さんも少なくないのですから驚きます。

子どもはまねをしながら学んでいくのです

ブスに産んだのはお母さんの責任、とは決して言いませんが、こんな言葉をぶつけるのは不当ですし、どれほど子供の心を傷つけていることでしょうか。
むしろ子供には、人の美しさ醜さはその顔かたちによるのではないことを、積極的に教えなければなりません。人間の魅力を決する大切なもの-それは笑顔ではないかと私は思います浩宮さまはお生まれになった時から、お出かけになる先々で、いつも報道陣や一般の人々に囲まれておいででした。


母親らしい存在なのだと錯覚している。 子どもを変えたいと思うならば 母は父の死後